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経営理念について

2017.2.10

カテゴリ:Management/Medical 著者:三谷 恭平

仕事柄、診療所のドクターやスタッフと経営の話をする機会があります。
その際によく伺う悩みの一つが、「最近院内に活気がない」というもの。
患者数が増えて忙しくなってきたせいなのか、患者対応や院内でのコミュニケーションもどことなく事務的に「こなす」感じになってきたと仰います。

何か現状を打開するための具体的なスキルを知らないかと聞かれるのですが、そういう場合は「経営理念を明確にしましょう」とお答えします。
その場合大抵は「うーんそれはそうなんだけど…」とあまり反応がよろしくありません。おそらく即効性が感じられないからなのだと思いますが、忙しい時にこそ「経営理念」は生きてくるのだ、とお話しするようにしています。

「経営理念」とは経営者が経営に対して持つ基本的な価値・態度・信念や行動基準を言語化したもの。
「組織の理念的目的(この組織は何のために存在しているか?」
「経営のやり方」
「社員の行動についての基本的な考え方あるいは規範」
など。経営理念の目的は、組織に共有の価値観を与えることにあります。

あくまで自分の考えですが、マインドセットがない場合には、スキルだけを身につけてもその活動には必ず迷いや停滞が生じ、長続きしません。
経営理念を通じてスタッフに真摯に動機付けを行うことが必要であり、経営理念が浸透して初めて、各人の具体的なスキルが生きています。

「経営理念」などなくても良い?

経営理念の無い会社は、いくらでもあります。というより、無い会社の方が圧倒的に多いと思われます。
何故なら、「経営理念はなくても経営はできる」からです。
特に医療のように弱った方と向き合うことが大前提の現場では、その行為自体が一つの「理念的価値」を持っていると見なされて、「経営理念」をわざわざ掲げているところは、一般企業と比べても少ないように思います。

ですが、業務の忙しさに忙殺されていても、ふと考える瞬間が必ずあります。
経営者であれば「何のために経営を行うのか?」
スタッフなら「なぜこの職場で働くのか?」。
疲弊してきたとき、何かトラブルがあったとき、心折れそうなとき…そんな瞬間に、立ち返ることのできる出発点であり、かつ目指すべき目的地。それが言語化された「経営理念」なのです。

人間は意味を求める生き物です。というよりは、脳が高度に発達してしまったために「無意味」に耐えられなくなってしまった生き物です。
「何のために生きているのか?」とは気恥ずかしい問いですが、生まれてから誰しも考える命題だと思います。
「家族の笑顔のために」「明日のパンのために」「成りあがるため」…
忙しさの中では忘れていても、ふとした瞬間に思い出し、手を止めた経験は誰にでもあるはず。
皆自分の生き方に何かしらの意義を見出そうとして、毎日奮闘しています。

希望を与えるために

「経営理念には、経営者の経営信念、経営者が一番大切にしているもの、決して譲ることのできない経営者の魂が表明されます」
(「経営指針作成の手引き」より)

決して経営理念だけで飯が食えるわけではありませんが、理念なき経営に耐え続けるほど、スタッフは(というより人間は)お人好しではありません。
上記の通り経営理念とは経営者の「魂」であり、それを組織の隅々にまでうまく浸透し、共感を得ることができれば、それは「勇気」となり「希望」となります。

目的地もわからない船に乗船し、羅針盤のないまま船を漕ぎ、帆を広げて風に任せて進む…
体力のあるうちは闇雲に漕いでいても「何となく前進している」という感覚だけでこなせるかもしれませんが、それでも進むためにオールを漕ぐ力を与えるのは、やはり自分の行為に意味があると言う感覚、すなわち「希望」です。

そして同じ船に乗るスタッフ希望を与えることは、組織維持という目的合理的な観点からも、またそれ以上にスタッフ各人の人生に寄与し共に船を漕ぐために、経営者としての「義務」だと思います。

もしあなたの組織に経営理念がない、あるいは浸透していないのだとしたら。
一度自分と向き合って、経営理念、考えてみませんか?

Kyohei Mitani

筑波大学 社会学類卒業。大学在学時から現在まで17年以上、クリニックの開業支援や、経営コンサルティングを行う。2016年より Jump Start に正式ジョイン。

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